岡山家庭裁判所 昭和62年(少)891号 決定 1988年7月21日
少年 DI(昭46.10.21生)
主文
この事件について、少年を保護処分に付さない。
理由
1 本件送致事実は「少年は、昭和61年4月30日午後3時ころ、倉敷市○○×丁目××番××号A方において、同家6畳の間のテレビの上から同人所有の現金11,000円在中の茶色ビニール製二つ折財布(時価約1000円相当)を窃取したものである。」というにある。
2 少年は、本件送致事実を調査段階より否認し、当審判廷においても、一貫して否認しているので検討する。
少年、証人B子、同C子、同D、同A、同E、同Fの当審判廷における各供述および本件記録によれば、昭和61年4月30日ごろ、倉敷市○○×丁目××番××号A方において、家人不在中の午後0時ごろから午後4時ころまでの間に、同家6畳の間にあつた11、000円在中のビニール製二つ折り財布1個が盗まれたこと、同財布の中に入れてあつた運転免許証は同家の傍に置いていた原動機付自転車のシートの上に放置されていたこと、当時A方では同人と同人の妻C子の2人暮しであり、Aは塗装工として稼働し、C子は無職で家事に専従していたこと、A方では、そのころ、戸締まりをせずよく留守にしていたこと、一方少年とD(上記Aの妻C子の従弟)は中学校の同級生であつたこと、DはそのころしばしばA方に出入りし、同家の留守中にも勝手に出入りしていたこと、また同人は他より窃取してきた多量のジユース類をA夫婦にわからないようにA方にこつそり隠匿していたこと、少年およびその同級生であるFはDよりその隠匿しているジユースを貰い受けることになり、少年、F、Dはともに昭和61年4月30日午後3時ごろ、上記A方へそれぞれ自転車に乗つて赴いたこと、その時A方は家人不在であつたが、少年とFがA方の外で待ち、Dが屋内に侵入し、ジユースを持ち出し、少年とFに各数本ずつを交付したこと、D、Fはすぐ同家を立去つたが、少年のみはジユースをビニール袋より自己の鞄に詰め替えるため若干手間取り、おくれて出発し、2、3分後にDらに追いついたこと、少年の性格は温厚、素直であり、その家庭環境も良好であることが認められる。
ところで、本件窃盗と少年との結びつきを認めるに足る証拠は、少年の司法警察員に対する供述調書が殆ど唯一のものであつて、他にこれを認めるに足る資料は存しない。
そこで、少年の捜査機関に対する自白即ち上記供述調書(以下自白調書という)を考えてみるに、自白調書では、少年は、本件犯行当時D、Fを先に帰した後A方に侵入し、同家6畳の間のテレビの上にあつた財布を窃取したこと、同部屋は雑然として食べ残した滓が付着した皿が数枚置いてあり、この家の人は横着な性格の人だと思つたこと、ぬいぐるみの猫が置いてあつたこと等具体的に述べており、その状況は司法巡査作成の実況見分調書(本件犯行当日作成されている)の内容と符合していること、さらに、少年が警察で取調べを受けた後の昭和61年6月8日ごろ、警察の指示により少年およびその父母はともに被害者A方を訪れ、同人に被害弁償を申し入れたが、Aは金員を受領しなかつたことが認められ、これらのことに徴すると、本件は少年の犯行であると一応認められるようである。
しかし、さらに仔細に検討してみるに、
(1) 被害弁償について、
前掲各証拠によれば、少年、その父母がA方へ被害弁償に訪れた際、その場にA夫婦のほか上記DおよびB子(C子、Dの祖母)が居合わせ、B子が少年に「本当に盗つたのか」と聞くと、少年は「やつていない」と答えたので、結局Aは少年の持参した金員を受取らなかつたこと、少年は警察で本件窃盗の犯人であるときめつけられ、被害弁償に行くよう指示され、仕様がないという気持でA方へ赴いたことが認められる。そうすると、少年が被害弁償のため被害者方へ赴いたことは、さほど有力な証拠とはならないと考えられる。
(2) 少年の自白について、
(ア) 自白調書によれば、少年は、釣りに興味を持ち、よく釣りに行つていたが、その餌代、道具代、船賃等のため小遣いが常に不足し、また50メートル1、600円のハリスが欲しかつたが小遣いがなく、盗みをして買おうと思つていた。さらに、窃盗現場の被害者方6畳の間では、猫のぬいぐるみがあり、食べ滓の付着した皿数枚が放置されていてこの家の人は横着だと思つた。そして財布を盗んで帰る途中、発覚をおそれ、その日のうちに財布を海中に棄てた。財布の中は見ていないのでどの位入つていたのかわからないし、1円も取つていないと述べている。しかし、少年の釣り道具が欲しいという気持、現場での冷静さまたは精神的余裕(ぬいぐるみや食べ滓のついた皿を見、かつ家人が横着だと思つたことから心にゆとりがあつたと推認される)からみて、少年が財布の中を見ないで、かつ、1円も抜き取らずにそのまま海中に投棄したのは不自然であるといわざるを得ない。
(イ) 自白調書によると、少年は、A方へ行つた際、ジユースを貰つてからD、Fを先に帰してから、A方に侵入して金品を物色し、財布を発見窃取し、その後にDらに追いついたが、DがA方を出発し少年が追いつくまで2、3分であると述べている(この時間の点はDの供述とも符合している)。しかし、少年が、今まで訪問したこともなく、内部の状況が全くわからない初めての家に侵入し、金品を物色し、しかも上記のように精神的ゆとりのある状態で財布を発見窃取し、先行したDらにはたして2、3分で追いつけるのかどうか甚だ疑問である。
(ウ) また、自白調書によると、少年は、A方に侵入した際、6畳の間で食べ滓の付着した皿数枚が放置されていたこと、ぬいぐるみの猫があつたこと等犯人しか知り得ないことを自白し、かつ、A方の間取り、財布のあつた場所、財布の形状等の図面を作成している。
警察における取調べ状況について、少年は当審判廷において「警察で自白したのは、はじめ僕はやつていないと言つたが、A方が留守にしていた時間と僕らの行つた時間が一致するということや、警察官はお前しかやつたものはいない。隠したつてだめだと言われ警察官が自分の両足の中に僕の足をはさんだり、机を押してきたりしたので、こわくなつて、やつたと言わないと仕様がなかつた。」と述べており、少年は当時未だ15歳であり精神的に未熟であつたこと、上記自白に対する疑問点を併せ考えると、少年は、警察官の鋭い追求や態度に威圧を受け精神的に動揺し、心理的苦痛から免れるため、警察官に迎合して、その暗示、誘導に基いて虚偽の自白をしたのではないかという疑いを払拭し得ず、結局自白調書の信用性に疑いが残るといわざるを得ない。
3 以上に基くと、少年の自白調書にはいろいろと疑問点があり、他に本件窃盗と少年を結びつけることを認め得る有力な証拠を見出すことはできない。
よつて、少年については、本件送致の非行事実を認定できないことに帰するから、少年法23条2項により主文のとおり決定する。
(裁判官 小河基夫)